事務所を引き払うと決めたあと、最後に効いてくるのが原状回復です。契約書には「原状に復して返還する」と書いてあるものの、どこまで直せばよいのかは書かれていません。壁のビス穴、床の傷、事業のために付けた設備。全部を新品同様に戻すのだと考えると費用は膨らみ、逆に何もせず出れば敷金から差し引かれたうえに追加で請求されることもあります。しかも廃業のときは、資金を1円でも多く残したい場面です。この記事では、線引きの考え方と、揉めずに進めるための手順を整理します。なお契約内容によって結論が変わるため、判断の前に契約書と貸主にご確認ください。
まず契約書の「特約」を読む
原状回復の範囲は、法律の一般論より契約書の特約が先に効きます。ここを読まずに一般論で判断すると、認識がずれます。
見るべきは次の3か所です。
- 原状回復の条項——どこまで戻すかの定め
- 特約——「借主が全額負担する」といった上乗せの取り決め
- 敷金・保証金の条項——償却(返さない分)の定めがあるか
3つ目に「保証金のうち◯割は返還しない」と書かれていることがあります。これは原状回復の費用とは別枠なので、きれいに直しても戻らない部分があるということです。先に知っておかないと、見込みが狂います。
契約書が見つからない場合は、賃料の振込先から貸主や管理会社をたどれます。手順は親の会社の通帳がどこにあるか分からない|事業用口座を探す順番と調べ方が参考になります。
争点になりやすいのは「事業だから付いた損耗」
住居と違い、事務所や作業場では事業に特有の使い方による傷みが出ます。ここが揉めどころです。
| 状態 | 借主の負担になりやすいか |
|---|---|
| 日焼けによる壁紙の変色 | 通常の使用の範囲とされやすい |
| 机や棚を置いた床のへこみ | 通常の範囲とされやすい |
| 重量物を置いた床の割れ | 負担を求められやすい |
| フォークリフト等でついた壁の破損 | 負担を求められやすい |
| 自分で設置した棚・仕切り・空調 | 撤去まで求められるのが原則 |
| 油や塗料のしみ | 程度による。争いになりやすい |
下の3つが、廃業時にとくに問題になります。自分で付けたものは自分で外すのが原則だと考えてください。看板の扱いは建設業の標識(金看板)は廃業したらどうする?掲示義務と外すタイミングにも関連します。
見積もりは自分でも取る
貸主や管理会社から出てきた見積もりを、そのまま受け入れる必要はありません。金額が大きいと感じたら、自分でも1社取ってください。
比べる材料があると、話し合いの土台が変わります。単価が相場から離れている項目、そもそも不要な工事が混ざっている項目が見えることがあります。
ただし、時間はかかります。退去日の直前に慌てて取ろうとしても間に合いません。明け渡しの1〜2か月前には動き始めてください。
もうひとつ、貸主が指定する業者でなければ駄目だと書かれている契約があります。その場合は相見積もりで金額を下げる余地が小さくなりますが、見積書の内訳を出してもらうことはできます。「一式」とだけ書かれた項目があれば、何をいくらで直すのかを聞いてください。内訳を求めるだけで金額が変わることがあります。
立ち会いには必ず出る
明け渡しの際、貸主や管理会社と一緒に室内を確認する場が設けられます。ここに出ないと、後から出てきた指摘に反論しにくくなります。
その場で「これは元からあった」「これは自分が付けた」を口頭で確認し、可能ならメモか写真を残してください。立ち会い後に一方的な見積もりが届いてから覆すのは、かなり難しくなります。
写真を撮ってから片づける
揉めたときに効くのは記録です。物を出す前と、出したあとの両方を撮ってください。
- 入居時の写真——残っていれば最強の材料になる
- 荷物がある状態——何をどこに置いていたかが分かる
- 空になった状態——床・壁・天井を広く、傷は寄って撮る
- 撤去した設備の跡——外す前と外したあとを対で
撮影日が分かる形で保存してください。「元からあった傷」を後から証明するのは、写真が無いとほぼ不可能です。
敷金が戻る前に口座を閉じない
実務でよくある失敗です。事業用口座を先に解約してしまい、敷金の返還を受け取れなくなることがあります。
返還は明け渡しから数か月後になることも珍しくありません。精算が終わるまで口座を1つ残しておいてください。固定費全体をどの順で切るかは工務店廃業の「見えない固定費」を断ち切る。商工会・固定電話・事業用口座を解約する絶好のタイミングにまとめています。
あわせて、明け渡し後に届く郵便物の転送も手配しておいてください。精算書が旧住所に届いて気づかない、ということが起こります。段取りは事務所を引き払った後の郵便物はどうなる?廃業時の転送手続きと届き続けるものへの備えを参照してください。
よくある質問
- 「借主が全額負担」と書いてあります。従うしかありませんか。
- 特約の有効性は、内容と説明の有無によって判断が分かれることがあります。金額が大きい場合は、消費生活センターや弁護士に相談する余地があります。ここでは断定できないため、専門家にご確認ください。
- 設置した空調を置いていってもいいですか。
- 貸主が引き取りに同意すれば可能なこともあります。ただし口頭では後から覆ることがあるため、書面に残してください。
- 片づけが退去日に間に合いません。
- 早めに貸主へ相談してください。無断で延びると、その分の賃料や違約金を求められます。
- 敷金より原状回復費が高くなりました。
- 差額を請求されます。支払いが難しい場合は、分割の相談を早い段階でしてください。放置すると連帯保証人へ請求が及ぶことがあります。
まとめ
原状回復は契約書の特約から読む。一般論より特約が先に効きます。
争点になるのは事業に特有の損耗と、自分で設置したもの。付けたものは自分で外すのが原則です。見積もりは自分でも取り、写真は物を出す前と後の両方で残す。
そして敷金の精算が終わるまで口座を閉じないこと。数か月かかることがあります。
この記事は一般的な考え方の整理であり、個別の契約に対する法的な助言ではありません。負担の範囲は契約内容と使用状況によって判断が分かれます。争いになりそうな場合は、弁護士や消費生活センターにご相談ください。
借りていた部屋を空にすると、思っていたより広く見えます。使い込んだ跡は、そこで仕事をしていた年数のぶんだけ残っています。
