解体や改修を手がけてきた会社の廃業で、いちばん軽く見られやすいのが石綿まわりの記録です。工事はとうに終わり、建物も無くなっている。だから紙も要らないだろう——そう考えて処分してしまうと、後で取り返しがつきません。石綿による健康被害は、吸い込んだ直後には出ないからです。中皮腫や肺がんは、ばく露から何十年も経ってから現れます。そのとき「いつ、どこで、誰が、どんな作業をしたか」を示せる書類が残っているかどうかで、元従業員が労災の認定を受けられるかが変わります。事前調査の記録は3年ですが、労働者についての記録はもっと長い期間の保存が求められています。この記事では、廃業のときに何をどれだけ持ち続けるのかを整理します。個別の判断は所轄の労働基準監督署にご確認ください。
「3年」と「40年」の二つがある
石綿の記録が分かりにくいのは、性格の違う二つの保存義務が同時に走っているからです。まとめて3年と覚えていると、長いほうを捨てます。
| 何の記録か | 保存の目安 | 目的 |
|---|---|---|
| 事前調査の結果 | 3年 | 調査を適正に行ったことの証明 |
| 作業の記録(届出・作業計画など) | 3年程度 | 工事の適正な実施の証明 |
| 石綿作業に従事した労働者の記録 | 40年 | 将来の健康被害への備え |
| 石綿健康診断の個人票 | 40年 | 同上 |
下二行の桁が違います。40年という数字は、健康被害が現れるまでの潜伏期間の長さから来ています。廃業してもこの期間が縮むわけではありません。
ここで問題になるのが、会社が無くなった後に誰がその紙を持つのかという点です。制度としての正解は一つではないため、所轄の労働基準監督署に事情を伝えて相談してください。相談したという事実自体が、後の判断材料になります。
報告した案件が残っていないか確かめる
2022年4月から、一定規模以上の解体・改修工事については、事前調査の結果を電子システムで報告することが義務づけられています。労働基準監督署への報告と、大気汚染防止法に基づく自治体への届出があります。
廃業の前に確認しておきたいのは次の点です。
- 報告済みで、まだ着工していない工事は無いか
- 着工したが完了していない工事は無いか
- 報告に使ったシステムのアカウントと控えはどこにあるか
一つ目と二つ目が残っていると、そのまま畳むことはできません。引き継ぐ業者へ調査結果を渡すか、工事を終わらせてから廃業日を置くかの判断が要ります。途中で放り出すと、次に入る業者が調査からやり直すことになります。
三つ目も忘れやすい部分です。電子申請の控えは紙で手元に無いことがあります。事務所のパソコンを処分する前に、ダウンロードして紙かデータで残してください。パソコンとデータの片づけ方は親の会社のパソコンとデータはどうする?廃業時の顧客情報の消し方と保管義務にまとめました。
調査は有資格者が行うことになっている
2023年10月以降、建築物の事前調査は建築物石綿含有建材調査者などの資格を持つ人が行うことになりました。社内でその資格を持っていたのが一人だけ、という会社は多いはずです。
その人が引退や退職でいなくなれば、会社として事前調査ができなくなります。つまり解体・改修の仕事を受けられなくなるということです。廃業の時期を考えるうえで、この点は現実的な区切りになります。
資格そのものは個人に属するので、会社が無くなっても消えません。別の会社で続けるつもりなら、修了証と、これまで担当した調査の記録を手元に残しておいてください。資格の扱い全般は廃業しても資格は残る?施工管理技士・建築士など建設系資格のその後と手続きを参照してください。
元従業員のために残すという視点
ここが、この記事でいちばん伝えたい部分です。石綿の記録は、会社を守るためだけのものではありません。
何十年か先に、当時の作業員が呼吸器の病気になったとします。労災として認められるには、石綿を扱う作業に従事していた事実を示す必要があります。会社が無くなり、記録も残っていなければ、その証明は本人が一から集めることになります。
そのときに効くのが、作業の記録と健康診断の個人票です。あわせて、次のものも整理して残しておくと本人の助けになります。
- 雇用していた期間が分かるもの——労働者名簿、賃金台帳
- どの現場に入っていたか——工事経歴、作業日報
- 健康診断の結果——個人票
- 連絡が取れる先——本人の側から照会できる窓口
最後の項目のために、廃業後も連絡が取れる方法を元従業員へ伝えておいてください。廃業後に元従業員から連絡が来る場面については廃業後に元従業員から連絡が来たら|離職票・源泉徴収票の再発行と対応義務にまとめています。健康管理手帳の交付など、本人が使える制度もあるため、心当たりがある人には所轄の労働基準監督署に相談するよう伝えてください。
置き場所を先に決める
40年という期間は、事務所を明け渡した後の話になります。だから「どこに置くか」を決めないまま片づけを始めると、行き場のない段ボールが残ります。
現実的な選択肢は限られます。自宅で保管する、データ化して量を減らす、事業を引き継ぐ先があるならそこに預ける。いずれにせよ、誰が管理するのかを家族と共有しておいてください。本人しか場所を知らないまま時間が経つのが、最も避けたい形です。
石綿に限らず、工事の書類は保存年数が種類ごとに違います。まとめて処分せず、廃業したら帳簿や領収書はいつまで保管する?捨てて困る書類と保存年数と親の工務店廃業で「図面と契約書」を捨ててはいけない理由。10年間の保管義務と法的リスクで仕分けてください。解体業そのものの畳み方は解体工事業・とび土工工事業の廃業ポイント|重機売却・産廃許可・解体工事業登録の廃業手続きにまとめています。
よくある質問
- 会社を清算したら、記録の保存義務は誰に移りますか。
- 法人が消滅した後の取り扱いは事案によって異なります。清算人が保管する形になるのか、他に方法があるのか、所轄の労働基準監督署と、清算を担当する司法書士や弁護士に確認してください。自己判断で処分しないことが重要です。
- 2022年より前の工事の記録も残す必要がありますか。
- 報告制度が始まった時期と、記録の保存義務が課される時期は別です。石綿を扱う作業に従事した労働者の記録については、以前から長期の保存が求められてきました。手元にあるものは残す方向で考えてください。
- 紙をデータにして原本を処分してもよいですか。
- 保存の方法について認められる形式は定めがあります。自己判断で原本を処分する前に、労働基準監督署に確認してください。
- 元従業員から「あの現場の記録が要る」と言われました。応じる義務はありますか。
- 義務の有無とは別に、本人にとっては労災の認定に関わる重要な資料です。手元にあるなら応じることをおすすめします。判断に迷う場合は労働基準監督署に相談してください。
まとめ
石綿の記録で覚えておくのは、「調査の記録は3年、人についての記録は40年」という二本立てです。廃業の片づけで捨ててしまうのは、たいてい後者のほうです。
そして40年という期間の意味は、被害が出るのがそれだけ先だからです。会社は無くなっても、当時そこで働いていた人の体には時間が流れ続けます。置き場所と管理する人を決めてから、事務所を明け渡してください。全体の段取りは建設業・工務店の廃業手続き完全マスターガイド|届出・税務・保険・許可返納を時系列で解説にまとめています。
この記事は制度の一般的な整理であり、個別の事案に対する法的助言ではありません。保存の年数・方法・廃業後の取り扱いは、事案や記録の種類によって異なります。処分の前に、所轄の労働基準監督署にご確認ください。
石綿の記録を残すのは、自分のためではありません。何十年か先に、名前も忘れかけた誰かが、その紙を必要とするかもしれないからです。
